益田(啓)組
益田(啓)組(ますだぐみ)は愛知県名古屋市瑞穂区駒場町2丁目14番地に本部を置いた暴力団で、指定暴力団・五代目山口組の二次団体。1997年2月、組長・益田啓助の引退に伴い解散。
来歴
- 三代目山口組若頭・安原政雄会長が率いる安原会から、1957年2月、三代目山口組組長・田岡一雄から親子盃を受け三代目山口組若中となる。
- 1959年、益田組が結成される。同組幹部の居宅は全国各所に置かれていた。
- 神戸・三橋勇次
- 奈良・久保昭
- 和歌山・岸三郎
- 名古屋・犬飼茂夫
- 1960年、「明友会事件」が勃発。
- 同年8月12日、益田は抗争に参加し舎弟の三橋と共に逮捕され服役する。
- 1962年、益田組初代若頭・久保昭は数百人の部隊と共に敵地・福岡に乗り込んで検挙された「博多事件」に参加、山健組組長・山本健一から絶大な信頼を受ける。
- 1967年2月、益田啓助が社会不在中、当時三代目山口組若中で初代横浜益田組組長・益田芳夫が後見人となり同組幹部・犬飼茂夫が名古屋市南区豊田本町に犬飼興業の事務所開きを行った。
- 1970年4月、益田啓助は三代目山口組組長・田岡一雄の命を受け神戸から名古屋市瑞穂区駒場町に本拠地を移し、益田啓助は犬飼興業の舎弟、若衆に盃を与え舎弟、若中に昇格させ組織の拡大を行った。その後、初代若頭・久保昭、犬飼茂夫は病気療養のため引退した。
- 1971年4月、導友会初代会長・古川竹男と親戚となる。
- 1974年11月、同組若頭補佐・和歌山支部長・岸三郎率いる和歌山支部で支部組員1名が、地元の組織である四代目佐々木組組員2名と市内繁華街で口論となり殴る蹴るの暴行を受け重軽傷を負った。
その後、小競合いとなり、これに反撃。益田組和歌山支部・若頭で同組若中・岸勲、組員数人と名古屋の益田組内皆良田興業・若頭で同組若中・松岡勝美、組員数人も岸勲らと行動をともにした。
対立組織の佐々木組組員2名を拉致監禁し暴行を加え重傷を負わせ病院の玄関へ放置した。
また時を同じくして、傘下組員数名が佐々木組事務所へ数発、発砲した。
これを和歌山署が察知し警戒中、当時三代目山口組若頭補佐・白神組組長・白神一朝(後の一和会常任理事・白神英雄) が仲介に入る。同年12月、和歌の浦 料亭 (泰弘坊) にて手打が行われた。同組員、傘下組員らは逮捕され服役する。
- 1978年、大阪戦争勃発。
「大阪戦争」を参照。
これに関連し同組員数人が凶器準備集合罪、銃刀法違反等で逮捕され服役する。
- 1981年、三代目山口組・弘田組・司興業組員と導友会・浜健組組員とが街で喧嘩をした。司興業組員が浜健組の事務所へ謝罪に行くと、司興業の組員達は暴行を受けて、逆に火に油を注ぐ結果となってしまった。これに対して司興業でも返しを行い、金沢市にある導友会・坂林組に弘田組組員が乱入し、組員2人に重軽傷を負わせる事件が起きた。
益田啓助と地元的屋組織の双葉会会長・森田道竹が和解に奔走して、抗争はわずか4日で終わった。
- 1984年8月、「山一抗争」が勃発。これに関連し組員数人が凶器準備集合罪、銃刀法違反等で逮捕され服役する。
「山一抗争」を参照。
- 1990年代、地元名古屋の導友会三代目会長・花村昭和を舎弟とし傘下に収めた。花村は益田組舎弟頭に就任した。
- 1997年2月、益田啓助の引退に伴い益田組は解散、組員の大半は初代弘道会へ移籍した。
組織図 1997年(平成9年2月)
組 長 - 益田啓助(五代目山口組舎弟頭)
若 頭 - 岸 勲(岸興業?組長)
舎弟頭 - 花村昭和(三代目導友会会長・七代目吉良一家総長)
組織図 1989年(平成元年)
組 長 - 益田啓助(五代目山口組舎弟頭)
若 頭 - 岸 勲(岸興業組長)
舎弟頭 - 田中正信 (田中組組長)
組織図 1988年(昭和63年)
組長
益田啓助(四代目山口組舎弟)
最高幹部
若 頭 - 田中正信(田中組組長)
舎弟頭 - 小山 悟
本部長 - 松本信義(松本組組長)
舎弟頭補佐・益田組和歌山支部長 - 岸 三郎
舎弟頭補佐 - 山本 誠
若頭代行 - 岸 勲(岸興業組長)
若頭補佐 - 東 英樹(東総業組長)
若頭補佐 - 松岡勝美(三代目皆良田興業組長)
若頭補佐 - 野田和弘(野田組組長)
若頭補佐 - 山根 健(三代目久保組組長)
組織委員長兼風紀委員長 - 古市一馬(二代目犬飼興業組長)
顧問・相談役
顧 問 - 三橋勇次
相談役 - 飯田太一
舎弟
吉戸米男
片桐正夫
上村弘道
城間健二
幹部
舟木 茂 (益田組和歌山支部舎弟頭)
家田政夫
組長付 - 大岩敏明
組長付 - 内藤輝雄
当番責任者 - 横田 勇
当番責任者 - 新井 実
若中
千葉良三(二代目北川組組長)
斉藤康行(三代目皆良田興業舎弟頭)
吉本里志(三代目皆良田興業若頭)
小久保幸夫(田中組舎弟頭)
服部義信
東 寿男 (岸興業舎弟頭)
下畠浩三(下畠組組長)
吉戸照美
郡司 隆(二代目吉戸組組長)
組織図 1971年(昭和46年)
組長
益田啓助(三代目山口組若中)
最高幹部
副組長 - 三橋勇次
若 頭 - 小山 悟
舎弟頭 - 北川 勇(北川組組長)
若頭代行 - 江刺浩司(二代目久保組組長)
舎弟頭補佐 - 飯田太一
若頭補佐 - 田中正信
若頭補佐 - 皆良田常男(二代目皆良田興業組長)
若頭補佐 - 岸 三郎(益田組和歌山支部長)
若頭補佐 - 梶田正夫(梶田興業組長)
若頭補佐 - 吉戸輝雄(吉戸組組長)
若頭補佐 - 加藤 武 (加藤組組長)
組織委員長 - 古市一馬 (二代目犬飼興業組長)
風紀委員長 - 松本信義
舎弟
舎 弟 - 吉戸米男
舎 弟 - 山本 誠
舎 弟 - 片桐正夫
幹部
城間健二
竹中祥浩
東 英樹
上村弘道
家田政夫
当番責任者 - 野田和弘
若中
舟木 茂 (益田組和歌山支部舎弟頭)
組長付 - 岸 勲(益田組和歌山支部若頭)
組長付 - 松岡勝美(二代目皆良田興業若頭)
横田 勇(梶田興業舎弟頭)
組長付 - 新井 実 (梶田興業若頭)
千葉良三(北川組若頭)
大岩敏明 (二代目皆良田興業舎弟頭)
内藤輝雄 (二代目皆良田興業若頭補佐)
小久保幸夫(田中正信舎弟)
服部義信
高原英樹(高原興業組長)
下畠浩三
吉戸照美
郡司 隆(吉戸組若頭)
犬飼興業
犬飼興業(いぬかいこうぎょう)は愛知県名古屋市南区豊田本町に本部を置いた暴力団で、三代目山口組の三次団体。上部団体は当時、神戸益田組。
略歴
- 1957年2月、三代目山口組若頭・安原政雄会長が率いる安原会から1957年2月、益田啓助は、三代目山口組組長・田岡一雄からは親子盃を受け三代目山口組若中となる。
- 1959年、益田啓助は益田組を結成。同組の幹部、神戸・三橋勇次?、奈良・久保昭?、和歌山・岸三郎?、名古屋・犬飼茂夫?らがそれぞれに居宅を置いていた。
- 1967年2月、益田啓助が社会不在中、当時三代目山口組若中で初代横浜益田組組長・益田芳夫が後見人となり、益田組若頭補佐・犬飼茂夫が名古屋市南区豊田本町に犬飼興業の事務所開きを行った。
- 1970年4月、益田啓助は三代目山口組組長・田岡一雄の命を受け神戸から名古屋市瑞穂区駒場町に本拠地を移し、益田啓助は犬飼興業の舎弟、若衆に盃を与え舎弟、若中に昇格させ組織を拡大させた。その後、初代若頭・久保昭、犬飼茂夫は病気療養のため引退した。
過去の組織図 1965年(昭和40年)
組 長 - 犬飼茂夫 (益田組若頭補佐)
若 頭 - 小山 悟
舎弟頭 - 飯田太一
相談役 - 北川 勇
相談役 - 皆良田政男 (皆良田興業組長)
若頭補佐 - 皆良田常男
若頭補佐 - 梶田正夫
若頭補佐 - 吉戸輝雄
若頭補佐 - 加藤 武
若頭補佐 - 古市一馬
舎 弟 - 吉戸米男
舎 弟 - 山本 誠
舎 弟 - 片桐正夫
幹 部 - 家田政夫
幹 部 - 野田和弘
幹 部 - 上村弘道
幹 部 - 東 英樹 (皆良田常舎弟)
若 中 - 城間健二 (皆良田興業舎弟頭)
若 中 - 竹中祥浩 (皆良田興業若頭)
若 中 - 吉戸照美
若 中 - 松岡勝美 (皆良田常若衆)
若 中 - 大岩敏明 (皆良田常若衆)
若 中 - 内藤輝雄 (皆良田常若衆)
若 中 - 横田 勇 (梶田若衆)
若 中 - 新井 実 (梶田若衆)
若 中 - 下畠浩三 (梶田若衆)
若 中 - 高原英樹 (梶田若衆)
若 中 - 千葉良三 (北川若衆)
若 中 - 外山勝美 (吉戸輝若衆)
若 中 - 郡司 隆 (吉戸輝若衆)
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