矢嶋長次
矢嶋長次(やじま ちょうじ 1936年6月9日 - 2019年10月20日)は日本の元ヤクザ。元四代目山口組舎弟、矢嶋組組長。二代目森川組組長。1989年引退。
人物
- 警察資料では昭和11年1月8日生まれ。
- 親子二代の筋金入りの博徒で、関西一円を旅して親子で博奕を打っていた。
- 24歳という若さで三代目山口組直参となるが、あまりに若すぎたため、他の直参に配慮して昇格時は年齢を4歳くらい上で通したという逸話がある。
- 「四国にその人あり」と言われた超武闘派。
略歴
- 森川組組長・森川鹿次の娘婿。
- 24歳という若さで三代目山口組組長・田岡一雄が盃を下ろし、山口組直参となる。
- 愛媛県今治市で矢嶋組を結成。
- 田岡一雄の秘書役でボディーガードを務めた。
- 1964年、全国制覇を標榜した山口組で、矢嶋組が今治市から松山市に進出した際、組員の引き抜きに端を発する本多会傘下郷田会とのトラブルから、組員が負傷する事件が発生。
矢嶋長次は「郷田会長が今治まで謝りに来るか、犯人を引き渡せ」と強硬姿勢を貫き、ライフルや拳銃、脇差しなどで武装した特攻隊を組織した。
その後、ショットガンで武装した十数人の郷田会系組員と白昼の銃撃戦を繰り広げ、全国ニュースで報道されるなど世情を震撼させた。
- 事件後、田岡一雄は若頭・地道行雄を通じて巨額の見舞い金を矢嶋長次に渡し、矢嶋組の弁護士費用などでの金銭的な窮地を支援した。
矢嶋長次は逮捕後、警察当局から矢嶋組の解散を迫られたが徹底的に拒否した。
- 1973年、森川組の二代目を継承し、森川組と矢嶋組を統合した。
- 1989年、渡辺芳則の五代目山口組組長就任が決定した同年、竹中武、牛尾洋二?、森田唯友紀らと共に山口組を脱退。
- 同年8月、矢嶋長次は矢嶋組の二代目を若頭・山田忠利に譲って引退した。
- 2019年10月20日、死去。
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