瀬戸金之助
瀬戸金之助(せとの きんのすけ、通称・愛金、別名・井上金之助、本名・井上清澄または井上清住(いのうえ きよすみ))は幕末から明治の侠客、博徒。瀬戸一家二代目。
略歴
- 安政2年(1855年)1月15日、瀬戸一家初代総裁・瀬戸愛吉の長男に生まれる。
- 美濃太田の大親分梅屋一家・梅屋嘉六の跡目を継いだ。
- 瀬戸愛吉の獄死後、瀬戸一家二代目を継承し、瀬戸から東濃地方における広大な費場所を有した。
- 瀬戸金之助は、東濃太田の大親分亡梅屋嘉六の子分となり同人の跡目を相続するも、東濃に住まず瀬戸町におり梅屋一家の費場所を領すると同時に、瀬戸の費場所より上る寺銭を、ドン尻屋良吉こと河本良助と山分けし、勢力益々盛んであった。
- 瀬戸愛吉の跡目は子分の河本良助が相続すべき筋合であったが自然に瀬戸金之助が継承することとなり、瀬戸愛吉が明治17年の大刈込の際、2年の懲罰を受けて獄死した後、瀬戸金之助が二代目親分となる。
- 瀬戸金之助は梅屋の費場所と瀬戸の費場所とを合わせ、かつ付近の費場所を蠶食して、益々羽翼を張り当時名聲四隣を壓し、当時東海道一の称ありとある。が、親分の梅屋嘉六は、金之助が生まれる前の嘉永2年(1849)に亡くなっている。
- 明治39年4月24日没。行年51歳。墓所は愛知県瀬戸市川合町の春雨墓地。
墓石左側面に明治40年4月施主・松原繁重、侠客金之助跡目と刻んである。
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